「ああ上の駅」シニアの心に残る昭和の歌

シニアの暮らし

こんにちは!
シニアライフを探求するシニアブログのチム(@tikao2440)です。(^▽^)

「緊急事態宣言」が出されて3週間がたちました。
不要不急の外出自粛ご苦労様です。

貴方は、カラオケやりますか?歌うの好きですか?

私が幼い頃から、機会ある毎に聞いたり歌ったりして、人生の糧としてきた昭和の歌に
スポットを当ててみたいと思います。

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昭和の歌謡ヒット曲「あゝ上野駅」とは

残したい昭和の数ある歌謡曲の中から折に触れ1曲づつ取り上げていきます。 今回は、井沢八郎さんの「あゝ上野駅」です。

「あゝ上野駅」(ああうえのえき)は、1964年(昭和39年)5月に発表された日本のポピュラーソング(演歌)。あるいは同曲を収録したシングル。

作詞・関口義明、作曲・荒井英一、歌唱・井沢八郎。オリジナルモノラル音源シングル盤のレコード番号はTR-1053。以後TP-2022でステレオ盤として再発売、1976年(昭和51年)に、600円に価格改定とともにTP-10125と改番、1985年(昭和60年)には、装いも新たに「祝・東北・上越新幹線上野駅開業記念」として¥700盤TP-17687が発売された(片面は男船)。
             出典: フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』

1964年といえば、皆さんおいくつの時になりますか?              

私は、小学6年生、発売された当時はこの歌を知っていたかどうかよくは記憶していませんが、歌うのは好きでしたので、田舎総出の田植え時期や山登りしたときなど機会あるたびによく歌ったものです。

TVから流れ出る井沢八郎さんの歌声を聴いて、見て覚えていました。

リサーチして知ったのですが、この歌で井沢八郎さんは、
NHK紅白歌合戦に一度も出場されていないのです。

現在、亡くなられていますので、その成り行きをほじるつもりはありませんが、こんなに長い間、庶民に指示されヒットした昭和の歌謡曲が、本人が生きてるときに見れなかった聴けなかった(紅白出場で)というのは残念でしかないです。

皆さんご存知のとおり、「あゝ上野駅」は、関東の製造会社が新卒を大量採用する、集団就職によって、東北地方の中学、高校の卒業生が集団就職列車に揺られて上の駅に向かう様を歌ったものです。

YOUTUBE動画「井沢八郎さんのあゝ上の駅」

かつて東京の玄関だった上野駅、ここから多くの若者が未知の世界へ羽ばたいていったのです。歌い手の井沢八郎さんも、青森から歌手になるため上京されたのですから、この歌との出会いは運命だったのかもしれません。

集団就職者の若者の心に深く刻み込まれ、当事者であったならば今まさにその情景が蘇ることでしょう。戦後の日本の高度成長期を支えた団塊世代の「心のふるさと」ともいえるこの曲、youtubeで見ることができます。

当時の情景を映像化したコチラもどうぞ!

私は、真逆の北ではなく南の出身になりますが、もし集団就職当事者であったなら、この歌を聴いて感じるる物は如何ほどになるかと推察します。只、同じ同世代の境遇として、この歌への共感と親しみがわくのだと思います。

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井沢八郎さんが亡くなってから、色々な歌い手さんがカバーされてる曲ですが、当時の情景と歌詞と歌唱が一体となった調べに勝るものはありません。が

【あゝ上野駅】 島津亜矢

ああ上野駅(カラオケ)/ カラオケ好きな方はどうぞ!

「あゝ上野駅」の歌碑

2003年建立の「あゝ上野駅」歌碑は、JR上野駅広小路口を出て、中央通り手前にあります。

哀愁に満ちたこの歌碑を見に来て、当時を偲んでみてはいかがですか。
当事者にしてみれば歌碑を見るまでも無く、歌と共に心にはっきりと思い描けるでしょうが!

楽器が弾ける方で、「あゝ上野駅」楽譜が必要な方は、コチラからどうぞ↓
               ♪ぷりんと楽譜♪

                 つづく